飽和した世界の憂鬱
「これは何?」
誰かが言った。それが何か、知る者は誰1人としていなかった。未だかつて誰も知り得ない真実の果実の味はどんなものだろう。彼はそれを見つめながら、ただ1人想像の翼を広げていた。そしてその翼は彼に空へ飛び立つ力を与え、果実の味は全ての世界の空の下に平等に与えられた。
数多の開拓者の亡霊が切り開いた世界が、今ここにある。私はその礎の上に立っている。そして今その歴史の延長線上に、私も立っている。
望めば大抵のものは手に入る時代だ。生きていくために生きていくことはそう難しくない。
犬は餌を食べることに疑問を抱かない。けれど、人は時に敢えて餌を拒む。時に何故食べなくてはならないのかと考える。
「生きるためだ。」
なら、何のために生きるのかと考える。
そして時に人は追い込まれ、混乱する。
「あの高台から飛び降りれば、空を飛べるだろうか。あの鳥のように自由になれるだろうか。」
落下。破裂。塊。物質。
自由とは死であると解釈する。生きることが単なる苦行であると、確信して疑わない。
食べるために生きるのではなく、生きるために食べる動物の本能と同時に備わった異形不明の性質。それが「心」なら、人間は常にその心と動物としての機能を闘わせ続けなくてはならない奇妙な生物だ。
単に生きるために生きる、本能のままでは耐えられない人間が、「何か」に疑問を持った。
その疑問が今までの世界を創り上げた。けれど、そこには「生きるために本当に必要な」ことはもう無い。
まるで人間がしていることが、暇人の道楽や神々の悪戯であるかのように。残された人間たちは、この飽和した世界で己の身体と心を持て余す。
「何のための身体と心だったのか。」
漠然とした不満足だけが取り残される。
「一体何のために何をしているの?」
「生まれたから生きている。」
ただ、生きているから生きている。それだけでは飽き足らない故の違和感。
犬と私、何が違うんだろう。生きるということにどうしてこれほど違いがある。違いがあると人間が思っているだけなら、人間とは一体??
何を言わずとも、何を言っても人間は突き進んでいく。真実の果実を手にした者たちが、その影響力を空に広げていく。その営みは決して衰えることがない。
行き着くところまで辿り着いてようやく、人類は何かに気づくだろうか。
飽和した世界の憂鬱が見せた、新たな人間の可能性の果実を育んでいくことができるだろうか。
少年は、全てが目に見える世界の上に立っている。
「これは何?」
何も見ることができないその目で、少年は興奮と安堵に満ちた顔でそれに指を指す。
「そこには何もないよ。」
通りがかった老人が気の毒そうに少年に声をかけた。
「ううん。そこ。これはなに?」
「ワシには何も見えんが。君には何が見えるのかね?」
老人はいたいけな子供を見守るように少年に合わせる。
何も見ることができない目で、その少年は顔を輝かせてこう言った。
「分かった。全部だ。」