「生きる」を考える

訳もなく生まれたから、その訳を考えるしかない。

消えてしまいそう

いついかなる時も、気を抜くと消えてしまいそうな自分を堰き止めている。


生活に慣れていくと、気持ちも安定してくる気がする。そうして何となく同じようなどこか違うような毎日が続いて、次第に自分の抱えていた思いや感情など、全て一つの直線になって落ち着いてくると思っていた。そんな曖昧な未来を思っては、そんな普通の生活は到底やって来ないような感覚は消えずに今でも残っていた。

 

生活に慣れていくと、生活が第一になって後の事には時間を割けないほど忙しくなっていく。その喧騒の中では、少年時代に煩悶していたような事柄は大して重要でないことに分類され、僕たちは自分の預金口座を確かめることを大切にするようになった。

 

けれどふとした時に思う。
まだ何も解決などしていない。ただ問題を無視しただけで、他のことに没頭することで忘れようとしただけで、本当は何も終わってなどいない。そのことを思い出しては、何に反省すればいいのか、この気持ちを何にぶつければいいのか、分からなくてただぼんやりと空を見上げる事ばかりが増えた。

 


生活が進んでいくと、気持ちも安定してきて、人の繋がりも落ち着いてきて、居るべき場所が落ち着いてくる。居所が落ち着くと、その居場所を守る事ばかり考えるようになって、気づけば自分のことだって、他人のことだってあまり深く考えなくなる。

 

それでも、人と自分の中に何か大きな存在を感じる時はあって、そういう時は自分自身の出来ることの少なさと進んでいるようで進んでいない自分の浅はかさに嫌気がさして、気づいたら忙しない朝になっている。

 


そうやって恒常的生活は続いてきた。きっとこれからも続いていくのだろう。誰が望まなくとも、望んでなくしてのこの生活。一体誰が何を求めてこんなことをやっているのか。生きているのは自分の方なのに、いつまで経っても分からないまま、途方に暮れてばかりいた。

 


風は何の意図もなく吹いて、何の理由もなく吹いてはただ頬をさらっていく。木は何の意図もなくそこに立っていて、ただ風に揺れて、ただそこにずっと立っている。雨は何を濡らそうという気もなく、ただ地上のものたちに向けて降り続ける。太陽は何を輝かせたいとも思わず、ただ太陽であるがために、大地の全てを照らし続ける。

 

光には何の意図もなく、闇にも何の意図もなく、ただ光と闇は一つで、どちらかだけ一方はなくて、そういうことが普通で正常で、もしかしたら普通でなくて正常じゃなくて、でもそんな矛盾も全てどうでもよくなるくらいに何の意図もなく世界は回っていて。地球は回っていて、宇宙はただそこにあって、星たちがじゃれあっている。

 


そんな場所に生まれ落ちたことにもきっと意味などなくて、ただそこにあるからあって、今もこうしてただここにいる。

 


そんな当たり前で忘れてしまいそうな不安定で安定した事が、悲しいような気もして、どこか安心している自分がいる。そんな心境に言ってあげるべき言葉が見つからなくて、ただ今も心はずっと宇宙を彷徨っている。

 

 

 

 

 

 

春が訪れると、自然の装いは色鮮やかに形を変えて、風の音はどこか優しくなって、太陽も少し心穏やかになって、木々も少し楽しそうで、雨もどこか初々しくて、人々はどこか浮き足立っていて、世界は始まりの音を奏でているみたいに少しだけ柔らかいものに変わって見せる。

 


夏は夏で、秋は秋で、冬は冬で変わってみせて。
そしたらまた春になって、夏になって、秋になって冬が来る。そうやって繰り返されていく、それでも幼木は育って、何世代も前の生命を背負っていて、その梢の先には彼らしい形があって。
太陽だって何十億もの時間を背負っていて、永遠の孤独の中で永遠とも思える時間を照らし続けていて、きっと僕らよりもずっと永遠を知っていて、終わるその時まで永遠の意味を考え続けている。

 


普遍の世界にも、不変でないものがあって。不変の世界は不変ではなくて、不変だからこその変化があって、そういう源流が僕たちにもあって、どういうわけかまだここにあって、今もこうしてここにいて。

 

 

安定した心にも変化はあって、等しく同じ心などなくて、心の安定などなくて、心はいつも不安定で安定していて、それが普遍であっても不変ではなくて。

 

前に進んでいる感覚がなくても、前に進んでいるものは確かにあって、後ろに進むことなどなくて、なんだかんだで進んでしまうのが普通で。

 


そんな普通に嫌気が差すことも普通で、何も感じないのも普通で、いちいち自分の場所を確かめたくなるのも普通で、何も変なことじゃない変なことで。

 

 

 

 

決して簡単には言えないものがあって。きっとそういうものを言い表す言葉を僕らはずっと探している。けれども、どこかで言い表さずとも、感じている。ただ感じていて、そのために空を見上げては思い出している。

 

何の意図もない空を見て、写り込む自分の心を見つめている。自分では自分の心を見れないから、空に託して、心を教えてもらっている。

 

そうやって確かめていないと、忙しさに自分を見失ってしまう気がする。自分が消えてしまう気がする。それが何故だか怖いから、僕らは空を見上げて写り込んだことを大切に胸の奥に仕舞い込もうとする。

 

そうやって見つけた簡単に言い表せないものたちを、いつか言葉にできるその日を願って、祈りを込めて、毎日を生きている。

 


喧騒の中で、忙しさの中であっても、どこかでそのことを忘れずに、しまってあるものを忘れずに生きている。ただ今そこに生きている。