「生きる」を考える

訳もなく生まれたから、その訳を考えるしかない。

虚無に堕ちろ

落ちる。堕ちていく。そういった急激な心許なさを覚えると、いつまでもそのことが頭から離れない。お前の代わりなどいくらでもいる。凡庸な人間。それどころか少し気を抜けば、凡庸より劣った人間。普通にすらなれない人間。そう誰かに言われている気がしてくる。

 

 

言っているのは自分なのだと、分かっていてももどうすることも出来ない夜もある。次の朝のことを考えなければならない夜でも、抱えきれなくなった思いに胸の奥をきつく掴まれて息が苦しくなることもある。そうした夜を何遍も私たちはいとも平等に超えていく。

 

 

命の有限性に不平等はない。すべての命には終わりが来る。全ては同じところから始まっていて、同じところに終わっていく。そしてそうであれば、生きている今も同じところにある。

 

 

全ては平等に苦しみと喜びを与えないが、生ある生き物は皆平等である。その平等さは、個々人の悩みや感情などはとうに超えた所にある、空と海に由来する。

 

 

私たちが安心できる地点はそこにしかない。

私が私という生にだけこだわってばかりいる間は、常に特別であるかもしれないが、一方でそれは間違った孤独と間違った感傷を生むばかりで、私たちは間違った特別性の中で自分を常に世界観に閉じ込めて監禁しようとする。その結果、人は内側に閉じこもり、外界を遮断し、妄想の世界の中だけで真実を決して見ようとも知ろうともしない。

 

 

けれど、その牢獄の中にいながらも、私たちにはいつも声が聞こえているだろう。これは現実ではない。これは妄想であって、あなたが見たいような世界をあなたが見たいように見ているだけだと。それだけではあなたは安心など決して出来ないはずだと。あなたは安心などしていない。落ち着いて穏やかなように見えても、その内実は堅強な理想で作られた鉄格子であり、景色を受け入れることを見失った盲目の人である。

 

 

目を閉じ、耳を塞ぎ、何も聞こえない方がマシだと言うのなら、その片隅にある心が震えて怯えきっているのはどういうわけか。そのことも見ないようにするのなら、それもいい。それもいい。

 

 

ならばいっそ、塞げるものは全て塞いでしまおう。落ちるところまで堕ちよう。どこまで落ちるのか、その身体と心で試してみるといい。そうすればいずれは底の底に突き当たる。底の底の音を聞いてみるといい。物を落としてみても、聞こえてくるのは、だ。

 

 

無意味、無価値。ありとあらゆる存在の否定が行き着く場所、それが虚無。そこまで行けば、もう何も怖いものなどない。怖い人がいるだけだ。

 

 

 

落ちる、堕ちていく。どこまでも。どこまでも。深い暗い穴底の底まで。そこには音も色も存在もない。ただあるのは、。ただあるのは、ただそれだけ。

 

 

どこまでも堕ちろ、堕ちろ。堕ちていくしかない。もうそれしか道はない。重力に逆らって堕ちていく、流れに逆らって堕ちていく。不自然な落下。速度はない。何もない。何もないままただ、何も抱けないまま、何も感じ得ないままただひたすらに虚無に堕ちろ。虚無に堕ちろ。

 

 

 

ここに来て足がすくむなら、自分が立っている場所が思いの外高かったということ。下がすぐそこならば、堕ちたとてそう変わりはない。

山から麓へ落ち、それが地上から地獄へ落ちたとして、どう違いがある。高さに何の意味がある。どこに立っていようと、落下が始まれば後は赴くまま逆らうままにただ進んでいくだけ。それだけのこと。いずれはこの体も朽ちていく。朽ちればそれは地上に堕ちていく。堕ちていくのは体だけか、果たして心はどこへ行くのか。そもそも心はどこからきたのか。堕ちていく心など初めからあったのだろうか。墜ちるとは、一体どこへ堕ちていくということなのか。

 

 

 

とにかく堕ちていく。虚無が辺りを漂うだすなら。全ての景色が汚されているように感じ、無力さに打ちひしがれるだけだ。自分一人が何かをしたところで何も変わりはしないこんな世界、こんな人間に期待するのはよそう。全ては無意味無価値の茶番であった。暇つぶしであった。私の生も、死も、宗教も哲学も美学も信念も夢も希望も絶望も茶番であった。これ以上何をどう動かしても変わりようがないのは明白だ。この身では何も変えられない、かと言って心はといえば感情と欲望で自分を振り回すばかりだ。周りの人も自分の心に振り回されてばかりだ。それを適当な美学で修飾しているだけで、着飾った服を逃せばみな猿同様。誰が食物連鎖の頂点だって。動物愛護団体。一体どこにそんな自信があるんだ。

 

 

 

虚無に堕ちろ。虚無に堕ちろ。

聞こえてくるのはそのことだけ。

虚無に堕ちろ。虚無に堕ちろ。

全てのことは無意味で無価値だ。

虚無に堕ちろ。虚無に堕ちろ。

全ては自分勝手な妄想と思い込みだ。

虚無に堕ちろ。虚無に堕ちろ。

だって生まれてきた意味も生きる理由も、何一つはっきりしないじゃないか。

虚無に堕ちろ。虚無に堕ちろ。

したいこともなくて、する気だってないならいっそ、死んでしまったって構わないじゃないか。生きている価値なんてないんだ。この世は不平等なんだ。生まれた時から生き易さが決まってるなんて。生きづらい病気を持った人間は、家庭に問題のある人間は、道具のような扱いを受けた人間は、恐ろしく醜い人間は、愛をもらえなかった人間は、この世界の色が濁って見えたとして、その人に責任なんてあるものか。

虚無に堕ちろ。

生きている意味だってないなら。

虚無に堕ちろ。

こんなことになってしまったのだって、理由なんかないんだろ。

虚無に堕ちろ。

そういう人間がそういうことをした因果だって言うなら。

虚無に堕ちろ

そういう人間は、もう終わりにしたって誰も文句なんか言えない。言わせはしない。無理して生きてることもない。

 

 

もしそうなら。

 

 

もう心も枯れ果てて、何の力も湧いてこないなら。

 

 

何もかも嫌気がさしたなら。

 

 

いっそ。

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、それでいいよ。