「生きる」を考える

訳もなく生まれたから、その訳を考えるしかない。

幸福の罠

幸せを求め、苦しみを遠ざけたいという思いは、誰でも同じくして持っているものだということは事実であると思う。その事実に立って考えれば、自分を嫌う人ですら、同じ思いを持つ人として、多少なりとも尊重すべき点はあり、同情すべき点はあり、決して彼らが不幸になるべきだなどとは心底思えないだろう。



けれど、その考えだけでは、私が私を保っていられなくなるのは、何かそこには足りないものがあるからではないだろうか。




幸福を求めると、幸福の分からなさに気づく。何が幸福なのか、よくよく考えると分からない。ありふれた穏やかな日常を幸せに思える時もあれば、大抵は不満を抱き、代わり映えしないものに思える心情とダライラマ倪下の言葉が一致しない。



瞑想をしても、はっきりとした智慧の拠り所がないために、進歩している気がしない。いつも何か釈然としない。誤魔化すような瞑想では、ただ感情に鈍感になるだけだ。





本当を言うと、何もかもどうでも良いと思っている。例えばダライラマ倪下が言う倫理観についても、あまり気にしていなかったりする。


倫理感を意識した生活を送ってみても、妙に説教臭い怒りっぽい自分が出てくるばかりで、その自分を好きになれない。



清浄であろうとする精神を誇る自分にも、清浄を捨て去ろうとする自分にも、どちらにも何の感慨もない。



ただどちらかに傾けば、汚れを必要以上に嫌い、美しいものを嫌い、あるいは自ら汚れようとする。



私は高僧のような人間になりたいと思っていた。けれど、いざ実践してみると、やはり違和感しかない。何故なら私は高僧ではないからだ。



どれだけ言葉が普遍的なもので、それを理解して自分と同一化しようとしても、私の生活に根付いた心との同一化ははかれない。



いつも何か分離している。



ポジティブやネガティブという意識を何度も行ったりきたりしている内に、その両方に難点があることを知った。



そして善悪を考えるうちに、善の嘘臭さと悪の正直さを知った。



長所と短所が全てにあるなら、真実にだってあるはずだ。だが真実は所詮人間の言葉の謂の中だけのことだ。指し示すものが真実に近くとも、私たちは始原について何一つ知る由もない。



かと言って知る由もない自分に落胆し、人間に絶望し虚無に落ちれば、そこにはまさしく何もない。



実行と思考は常にやりとりをしているが、実行は思考のどれだけの部分を占めているだろうか。



結局のところ私たちは、思考の中で最も重要なことは実行には移せないことを知っている。そしてほとんどを思考に頼っているということも。



世俗での生き方に切り離され過ぎれば、あの世の言葉は毒にもなる。けれど、もし世俗が毒なら、何が毒になる。



そもそも私たちは、私は生活と思考と真実を分けられない。全ては人生という同一線上に置かれているから、私は全てを一緒くたに意識してしまう。そうした意識に耐えられない。




何でもいい。あるがままあればいい。そう言ってもらえる方がよほどしっくりくるほど、考えすぎてしまった。あるいは、考える才能がないために、私には手に負えない物事のほとんどを何でもいいという言葉で片をつけたくなった。



手に負えないのかもしれない。ならばどう生きていくか。深く考えれば、実践すれば、良い人間になれるか。実はただ一人を恐れているだけで、誰にも必要とされないことを恐れているだけなんじゃないか。そのためにそれほどまでに君は倫理や真実に固執している。それを知るために努力することが、君の汚れを浄化し、罪を償わせることに繋がると信じている。



何を信じたって人の勝手だ。それにそんなことは今に始まったことでもないばかりか、偏狭な信者で溢れかえって今や誰も彼もが個人の世界観を誇示している。



そんな世界にあっては、何でもいいはどうでもいいという無関心に変わり、まさしく僕らは孤独を深めてはよくわからない宗教の信者になる。



全てはごちゃごちゃとしていて、全てを整理する知識も智慧も得るための時間が足りないのなら、もう全てを放任しても構わないのではないか。



許しをこう相手すらいない。内省的に、自制的に行きたい訳でもない。かと言って暴虐の限りを尽くしたいわけでも、欲望のままに生きたいわけでももはやない。



ただ全てを放っておくこと。今はこれがまだマシなあり方に思えてくるから不思議だ。考えた末にしては粗末だが、そんなものなのかもしれない。何もかもがどうでもいい。どうとでもなる。祝福される未来も、幸福な瞬間も、訪れようが訪れ舞いがどうだっていい。人にどう思われようがどうでもいい。それはもう一つの真実じゃないか。本当はただ放っておいて欲しくて、ただ生きていたいだけなんじゃないか。