「生きる」を考える

訳もなく生まれたから、その訳を考えるしかない。

「良く見られたい病」

何でも病にすることができる時代。

病名をつけてもらえれば、何か人に広く認められたものとして札付きの自分に安堵する。

 

 

精神疾患というものがあるらしい。実際、精神医学において病名は存在している。

 

けれど、精神が病にかかるのだとすると、一体精神のどこが何が病にかかったというのだろう。

 

実を言うとそのことをあまり考えたことがなかった。改めて考えてみると、精神の病という言葉自体が、何か無理矢理こじつけたものに思えてくる。

 

しかし、病名をつけなければ、対象を客観的観察対象として置かなければ科学は成立しないのだった。科学における医学なのだから、医者は患者を個人としてではなく、物質的な存在する対象として観察し向き合わなくてはいけない。

 

けれど、患者自身の精神は物質的対象物ではない。それではひとまず、患者の訴える諸症状や話(言葉)をもとに、患者の精神に起こっている現象を紐解かなくてはならない。

 

 

少し考えただけでもおよそ不可能だということが分かる。目に見えない、それでいて患者自身にもわからないことを、全くの他人である医者が分かるはずがない。

 

であるから、何も分からない医者が患者につけた病名という記号は、医者が分からないけれど断片的要素から継ぎ接ぎして命名した苦しまぎれと言えなくも無い。

 

例えその医者がどれだけ患者のことを想い、患者の回復を望んでいたとしても、そのことと患者を治せるか(症状を回復させられるか)は別の問題になる。

 

 

 

つまり、精神における病名というのは、目に見えず誰も分からないものに対して付けられた単なる言葉、そういう風に考えてもおかしくは無い。

 

 

それでも殊更その単なる言葉の方にばかり拘ってしまうのは、自分というものが他人の考えの中の類型に当てはまった方が気が楽だからだろうか。

 

 

自分の精神の病が、流行病のようなものだと思っていれば、いつかその病を治療する術を人類は見つけてくれる。その人類とは要するに自分以外の誰かであって、鼻からその人は自分の精神を自分でどうにかしようなどときっと思っていない。

 

 

かと言って、親鸞の言うような「他力本願」のような絶対的な信頼も持っていない。中途半端にインターネットに書かれている言葉を納得する間もなく浪費して、効果が薄れたらまた他人の威を借りるだけだ。

 

 

そういう訳だから、病名をつけてもらえると、いつか誰かにどうにかしてもらえる、自分のせいではないと思えて楽になる。

人は言葉によって自分を不自由にする。

いや、人は言葉によってのみ不自由になる。

 

 

 

こういうことを言うと責めていると思う人がいる。精神の病に罹った人にはその人なりの事情があると。あなたは罹ったことが無いから言うんだと。あなたには人を思いやる気持ちがないのかと。

 

 

 

それならば、苦しんでいない人などこの世にいるのだろうか。あるいは、苦しみの多寡を比べて競争をしたとして、ではその勝者がその苦しみの強さにおいて人に威張ることは正しいことだろうか。本人にとって善いことなのだろうか。

 

 

人との競争で疲れ果てて1人の世界に閉じこもり、そのせいで自分の精神は病んでいるとの結論に至ったのに、そこでもまた病んでいることにおいて誰かと競争し続けるのだろうか。

 

 

 

人を思いやるとは、その人のことを骨の髄まで甘えさせることなのだろうか。その人に本当は言うべきことを言っては傷つけるからと言わずに、耳障りの良い嘘を言うことだったろうか。

 

 

何が本当で何が嘘か、一体私たちはどれだけ考えたことがあるんだろうか。どれだけ考えた上で言葉を発しているんだろうか。この世界を突き動かしているのは明らかに、言葉でしかないというのに。

 

 

 

本当に正しい言葉は、紡がれて本当に正しい考えとなる。本当の正しい考えを知ることは、自分に陥っていると思われた地獄が、「地獄」という単なる言葉によって単に縛り付けていた、縛り付けられていた自分に気づかせる。

 

 

枕元に立つ暗い陰

春夏秋冬が目の前を通り過ぎて、気づけば私が吹き消すための蝋燭がひょっこり一本増えている。

誰の仕業か。アンチエイジングを謳い続ける若返り天国の世の中では、私の蝋燭の一本は誰かから見れば不幸への一歩になるのだろうか。

アラウンドなんとかで括ると、イメージの「おじさん」がいくらか離れたところからこちら側へ輪郭を近づけてくる年になった。

世間は「おじさん」になることを嫌がる。
身体は以前ほど活発には動けない。
傷の治りも遅ければ代謝も悪くなる一方。
その内歩くのも困難になって、気づけば家族の名前も顔すらも忘れてしまう。

私の祖父は認知症で、もう随分と前から介護施設に入居し、時折見舞いに行っては段々と自分への反応が薄れていくのが見てとれた。
けれど、認知症になる前の祖父よりも何となく自由で捉われがなく満ちているような感じがした。

年を取れば自ずと出来ないことが増えていくから、人はそれを「失った」と捉えるけれど、
失うことでより良いことに気づけるのなら、それはもはや何かを得ていることにはなりはしないだろうか。



今や人生100年時代のお陰で時間だけはたっぷりあるというのに、どうせなら好き勝手やってやろうなんて意気込みだけで生きていく気になんてなれない。

ベッドに横たわって、枕元の立つ陰が連れ去る前に、向こうに持っていけないものをいくら蓄えたところで仕方がないからだ。

物語の起承転結も、どれだけ運びが良くとも終わりが悪ければ駄作の烙印を押されかねない。
終わり悪くて却って喜ぶ輩もいるけれど、そういう人らだって自分の人生に関してはそうもいかない筈だ。

幸せな最後というものをいくら想像してみても、結局は死んでいく時はいつも独りだということに変わりはないことに気づくだけだ。

どんな立場にせよ、周りに誰がいるにせよ、何にせよ私は独りでこの世界からいなくなる。
ドラマでは死ぬ時にみんな悲しむのが常識のように演出しているけれど、死ぬことが悲しいなんてことは死んだことがないのだから本当は誰にも分からない。

ただ、この世に未練があるから、執着があって心と体が乖離しているから、肉肉しい心と空っからの体が水と油で拒絶しあって、仕舞いには自分を受け入れることがないまま死んでいく。

理想的なのは、自分の心と体の深さが同じところにあって、互いに受け入れ合っている状態。

持っていけないものに執着せずに、ただあるがままの自分の存在と一つに、本当の意味で独りになれること。


何だか抹香臭くなってきたけれど、
死ぬ時に人は最も強く自分の孤独を突きつけられるのではないだろうか。
今まで多くの人と出会い支えられてきた。自分自身とも思えるほどの人との出会い、代え難い存在もあった。
それでも、死ぬという段になってみると私はなぜ生きてきたんだろうという気がしてくるのではないか。
自ずから人生を振り返って、今目前にある死という事実と照らし合わせ反芻する。
誰にも言われずとも、私の人生は私の人生でしかない。私の生き方でしか生きれなかった時間、生きるとは私にとっての生きるでしかなかった。それと同じくして、死とは私にとっての死でしかない。

私の生も死も全てが私の世界の中での出来事であり、個別的な固有のものであり、私の全てである。即ちそれは、私は生まれながらに死ぬ時まで常に私という世界の主として独りであったということ。

死を前にして、人は自分の中の内的な言語を発語することを余儀なくされるのではないだろうか。
死とは現実世界の崩壊であるから、私たちが積み上げてきた外的なものは全てなくなるということでもある。
死後に別の国があるにせよ、魂の場所があるにせよ、何もないにせよ、人間の計算では理解できることはない。

だからこそ、私たちの死が私たちにとって単なる消滅や崩壊かどうかも分かりようがない。

どうせ死ぬんだから好き勝手生きるなんていってられないのは、死んだら終わりかどうか分からないからだ。


聖書では信じるものは救われる、と言う。裏を返せば、信じないものは救われない。
これは脅迫か何かだろうか?
信徒を増やすために行った過激な表現の一つかもしれない。人はみな罪の意識を持っている、そうした心理を逆手にとって原罪として生きることに責任を強く持たせた。人は、ただ生きるということができない。何か十字架を背負い生きなければ、人は遅かれ早かれ道を見失い正しき道を外れる。キリスト教の開祖は、人の心というものをよくよく理解していた人物なのかもしれない。


何が真実かどうか、真実とは事実とは異なる。事実のみが真実ではない世界、それが人間の心の世界ではないだろうか。
「死にたくない」ともがき苦しむよりも、
「死にたい」ともがき苦しむよりも、
それら感情に支配されない眼で「死」というものを考えたい。

そしてできれば、微風のようにそっと息を引き取られてどこかへ流れていければいい。





なぜ生きていかなければいけないのか?

両親が子作りをして人間が生まれました。それが私です。両親はきっと、こんな子供が産まれるなんて知らなかったことでしょう。けれどそれは私も同じこと。私だって、こんな人間に生まれるなんて知らなかった。気づいたらもう生まれていて、生きることが決められていたのですから。

 

 

昔自分はよくこんなことを考えた

「どうして、自分は生きているのだろう。」

 

けれど答えは一向に見つからず、そもそもその前に「どうして自分は生まれたのだろう。」と思った。

 

両親が子作りをした結果生まれたとしても、私はその両親の元に生まれることを望んだ訳じゃない。魂のようなものがあって、その魂が私の知らない記憶の中で生まれることを望んだのだろうか。想像してみても、やはり無いものは見えないから、無いものは無いのだとしか思えない。

 

ならやっぱり生まれた理由はない。意図して生まれた訳じゃ無いから、生きることだって想定外の出来事だ。それでも生まれてから物心ついてすぐ人間工場で観念や概念を教育された私は、押し流されるように今まで生きてきた。

 

「生きる意味は人が創り出すものだ。」

 

一時はこうした考えに目から鱗の気持ちで心躍った。生まれた意味がないのなら創ればいい。幸せがないのなら見つければいい。そうやって日々を前向きに、能動的に生きる毎日は新鮮で楽しく愉快だった。しかし、そんな楽しい日々も毎日とはいかず、戦場のような社会に降り注ぐ槍のような雨が私の気力と体力を奪っていくのを感じていた。

 

このままでは、私はまた「生きる意味」を見失う。

 

焦る気持ちなどつゆ知らずとばかりに、一度現れた火種が次々に大地を焼き尽くす大火になるように、私の日々と体と心は段々と自信と活力を失っていった。

 

後の祭りとなってしまった荒れ果てた自分の世界を見て立ち登る黒煙も風に攫われた頃、半ば呆然とただ立ち尽くす案山子のようになって毎日を過ごすようになった。

 

時に何がそうさせたのか、あらゆるものを敵と見做して全てを憎み壊そうと考えたり、時に全てを包み愛することができる人間になりたいと考えたりした。

 

それでもそれは所詮頭の中の話。机上に並べられた戦争絵図は誰にも見せることなく、未だ私の頭の中の暗い地下道を通った最深部の部屋に、鍵をかけて閉じ込めてある。

 

 

 

そういう時代が随分と長く続いて、何度もボヤ騒ぎがあってを繰り返した辺りで、いよいよ歯向かうことも革新的なことにも興味が失せてきていた。

 

躍起にもはやムキにすらなっていた「生きる意味探し」も、何周もしている内に何か一つ分かっても何もわからないような堂々巡りに思えて、好きだったメロディも言葉も景色も匂いも味も色褪せて濁った水槽の中で酸素ボンベを付けられているような気分だった。

 

 

そんな虚無感も風物詩のようなものになるほど繰り返されて、春夏秋冬の中に含まれていくと、何だか何もかもどうあっても良いような気になってきた。

 

全てに意味がないという虚無感そのものがとても小さく思えて、代わりに道端に健気に咲く花や子供たちのはしゃぐ声や祈りのような人の優しさが心に焼き付いて離れなくなった。

 

 

 

時折空を見上げていると思う。

「なんて空は広いんだろう。でも空は空のままだ。」

きっと私には何か今までとは違う、それでいてかつては分かっていたことを思い出していたのだと思う。物事が物事それ自体で成立しているということ。その意味が、社会や他人や人間工場で教育された事柄に左右されない、「私」という存在をはっきりとさせていることに。

 

本当はずっと気づいていたのだと思う。そしてみんなずっと知っていることで、でもそれが当たり前にすぎるから意識から外れてしまう。空気を吸って吐くことに疑問を抱かないみたいに、私は「私」というただ一つの存在を空気の中に置き去りにして随分と道草を食っていたらしいことに、今になって気づいた。

 

そして気づくと同時に、気づいたところで「私」は「私」であることに変わりがないことに気づく。そんなことじゃ不安な時は、何も変わらない空を見上げて、少しだけ安心することができる。

 

 

 

何が分かったのだろうか?

 

「なぜ生きていかなければいけないの?」

もしそう若い人に聞かれても、何て答えれば正しいのか正直分からない。でも分からないのは別に悪いことじゃない、そういうことは分かるような気がする。

 

きっと「生きる意味探し」をする人たちは、一生そこに関わっていくことになるかもしれない。だって生まれた理由がないなんてこと真剣に一度でも考え出したら、きっとそんな不思議なこと答えが出るまでずっと頭から離れないだろうから。

 

 

「そんなこと考えるのに意味なんてないから、私は積極的に頑張って自分で幸せを掴むよ。」

そう言って生きていくとしても、きっとまたどこかであの疑問と出会う。ああまた君笑、なんていつか出会う時は古い友人みたいになっているかもしれない。

 

 

きっとこの疑問を真剣に投げかける人は、「分かりやすくてはっきりした」答えが欲しいんだと思う。その気持ちはよく分かる気がする。その方が気持ちも収まりがつくから。

 

 

だから色んな哲学とか心理学とか社会学とか、はたまた宗教学や生物学や文化人類学とか歴史学とか、基準の明確な知識に答えを求めるかもしれないけれど。(哲学と心理学は少し例外)

 

 

一向に答えは出ないはず。というより、他人の言葉や考えをそのままパズルみたいに組みわせて答えを作ろうとしても、欲しい結論を補強する証拠集めみたいになってしまうことが多い。

 

 

結局人は自分が見たいようにしか世界も自分のことも見れない。だからその時々の体調や心の態度や考え方(観念や概念、知識や経験)によって幾らでも欲しい答えが変わってしまう。

 

 

例えば、生きていかなければいけないけれど意味がないのなら死にたい。そう思う人が「生きる意味探し」をしても、やはりその「死にたい」という方向性に近い事柄の情報や言葉ばかり集めてしまう。そういうことを思う精神状態では、花の美しさや人の優しさなんて気づく余裕もない。

 

余裕があるとないとでは見る箇所も見え方も違ってくる。生きる意味の無さと同時に、そこに社会構造の欠点なんかを見出して仕舞えば、「こんな息苦しい気持ちにさせてまで生かそうとする社会が憎い。」なんてことになるかもしれない。けれど、どんなに社会が悪かろうが他人が悪かろうが、それによって苦しむことが多くても生きることを選んでいるのは「自分」だ。

 

それを知ってなお「外の世界」が生きていく上での「障害」になるのなら、そこに順応すべく自分が変わるか外の世界を変えるしかない。その方法のどちらを取るのが楽か、あるいは正しくて良いと思えるのかはその人次第なのだと思う。

 

そういう大きく分けた二つも、それが人の数だけ枝分かれしてそれぞれ紆余曲折しながら手探りでなんとかんとか生きている。そういう何十億もの個性が群がりながらも、意外に丸く収まって生きている。それが面白くもあり可笑しくもあるけれど、そういうのが人間で、その中に自分がただいるというだけ。

 

逆に言えば、それだけバラバラなことを考えてバラバラに生きてきた人たちが群れている中でそこに完全にピッタリ収まって生きていくなんて土台無理な話だと思う。

 

むしろ、「息苦しい」くらいが普通なんだと思う。もっと言えばそんな個性戦争みたいな世界で生きていけてる人はすごい。私なんかも生きているだけで戦争疲れした気分だけど、それだって生きていることを思えば案外凄いことかもしれない。

 

 

 

 

 

 

ここまで色々考えてみても、この疑問については腐るほど書くことが出てきそうだ。今日のところはこれぐらいにして、めげずに今後も書いていきたい気がするってあーもうこんな時間だ!

 

 

 

 

美しい花がある、花の美しさというものはない

美人とは何か。それは容姿が整っているということだけではない。容姿が整っておりかつ多くの人に「美しい」と思わせる何かを秘めている人のことだ。

 

 

 

遺伝子には当然ながら個体差がある。人それぞれの容姿にも違いがある。肌質や髪質の違い、骨格の違い、目の大きい人小さい人、一重に二重、鼻が低い人高い人、顔のパーツの構成の違い、身長の高低、上半身と下半身のバランス、性シンボルの差etc.


それの意味するところは、その「差」である。違いは違いでしかない。そこには事実しかない。それぞれの違いがそれぞれの唯一無二の人間を形作るピースになる。

 

 

 

人間がそこに「美しい」という概念を見出す。

 

「美しい花がある。花の美しさというものはない。」

 

花そのものに美しいという情報があれば、全ての人がその花を見て美しいと思うだろう。けれど、その花を見て美しいと思わない者もいる。

 

花が美しいから美しい花があるのではない。花を美しいと思う心があるから、美しい花があるのである。

 

 

 

私たちは「美しい」という概念を、花を見ることで創り上げるのである。むしろ、創り上げるというより、花を一眼見た一瞬にその人の中に「美しい花」が生まれるのである。

 

この構造が指し示すことは、「美しい」ということ自体が私たちそれぞれの中に秘められた「概念」であるということだ。そしてそれは共通の概念ではない。あるものを美しいと感じる人がいても、それを美しくないと思う者もいる。美人と持て囃されるある人を見て「やはり美しい」と感じる人もいれば、「容姿は整っているが美しくはない」という人もいる。

 

 

「美しさ」の本質は常に個々人の中にある。どれだけ世間が「美人」とはこういうものだと広報して見せても、やはり個々人の中に「美しさ」は別にある。そしてそれはその当人にも預かり知らない引き出しの奥に仕舞い込まれている。

 

だからふとした時に、道端に咲く花に目を奪われる。花が咲いたような笑顔に心奪われる。

そういう時、「美しさ」が生まれている。遠い遠い記憶の底から、まるで時が止まったかのようにその美しさの前では沈黙するしかなくなる。

 

 

 

美人には特権があるのかもしれない。その人を美人と決める人があくまで多いのなら、その人はその人が持つ「美しさ」によって多くの人の心を奪い惹きつけるだろうから。

 

だがその違いが、特権と呼べるほどのものなのかはわからない。美人と呼ばれることが多いその人は、単にそう呼ばれることが多いというそのことによってそうとしかあれない人生を生きることになる。その中で得る恩恵がどれだけ多くとも、その恩恵はその人の努力で得たものでもなく、その人が生み出したものでもない。ただ単にその人がその人であるということだけによって得られる恩恵に過ぎない。

 

 

金持ちの家に生まれれば、金に困ることはない。どうせなら金持ちに生まれたかったと思う人もいる。けれど、金持ちに生まれた人間は、金持ちに生まれた人間としてしか生きられない。貧乏に生まれた人間やその他の人間の生きる人生を生きることはできない。

 

 

それに美人であることや金持ちの家に生まれることが、必ずしも幸福であったり良いことであるとは断言できない。なぜなら、全ての人間の生は個別的だからである。私たちが想像する「美人の人生」や「裕福な家の人生」とは、広報された情報に基づいた妄想に過ぎないからである。私たちは、誰一人として自分と同じ人間が過去現在未来に渡って存在しないことをどこかで忘れている。私たちの周りに存在するのは、「美人」でも「金持ち」でもない。そこにいるのは「その人」である。

 

 

 

生まれつき顔の皮膚が変形している人もいる。それを世間では「病気」と呼ぶが、その人間のことを「病人」と呼ぶことはしない。

あるいは「病人」と呼ぶのなら、その人の目に写っているのは「病人」であることになる。しかし、その病人が病人である以前に1人の人間であるということを失念していなければ、そんなことは言えない。

例えそれが先天性の病気によるものであっても、その人の肉体や精神の全てがその人を形作る全てであるという事実は決して揺るがない。

そして、その人に病名がついたとしても、私たちの想像し得ない容姿をしていても、人間であればやはり「その人はその人」に違いない。

 

 

これ以上どれだけ人に看板を貼り付けグループを分け差をはっきりさせたところで、その人はその人でありその人であることで既に完成している。

 

そこに概念を見出す人間がいるだけである。それを「好きだ」とか「嫌いだ」とか「美しい」とか言う人がいるだけだ。

 

 

 

「美しさ」というものについて、数多の詩人が賛美の詩を謳ってきた。私たちが詩人ならば、現れた美しさの前に沈黙し、その沈黙に耐えきれず詩を謳うだろう。

 

私たちは美しさの前では、何を言うこともできないから沈黙する。けれど、沈黙するに耐えきれずにそれを何かで表現したい欲求に駆られる。言葉によって表現する詩人はその言葉によって美しさを自分の中に留めようとする。私たちが美人に近づきたいと思うのも、彼らと接することで自分自身の中に美を留めたいという心の現れなのかもしれない。

 

美人という特権

美人を見かけると、つい見てしまう。

その子供のように純粋な瞳の輝きに、彼女の汚れのない美しい心を期待する。

漆黒のダイヤを思わせる艶やかな髪。引き寄せられるような豊満で血色の良い唇。

純白の絹のようにきめ細かい瑞々しい肌や色香漂う艶かしい肢体の美しさが、完成した人間を思わせる。

天使のような微笑みに触れれば、たちまち僕の中で彼女は神聖化され淡い光のヴェールに包まれる。

そのヴェールが、彼女と私との差を歴然とさせる。人間としての質の違いを思わせる。美人を前にすれば、私はつぎはぎで作られた不恰好な人形だということを思い知らされる。私の持つそんな劣等の色など、彼女の姿に何一つ陰ることはない。

 

 

それほどまでに眩い光を放った人を、美人と呼ぶ。ただ容姿が優れているという域を飛び越えた者だけが持つ異彩。これを美人の特権と呼ばずして、何と呼ぼうか。

 

 

 

 

毎朝起きて鏡台の前に立つ。寝ぼけ眼の下にはうっすらと陰りが見え、まとまっていない髪の一本一本には張りと艶がない。鏡に顔を近づければ肌には弾力もハリもなく、やつれた肌はどこか乾燥しきった瘡蓋を思わせる。苦し紛れに笑ってみると頬は無理矢理に引っ張ったみたいにひしゃげて皮が伸びた。

 

見れば見るほど起伏の少ない山と谷に、凹凸と変色が多い大地ばかりが続く。そこには、青々と茂る深緑の景色も、美しい華も見当たらない。

 

こんな大地に焦がれる人間はいないだろう。

テレビをつけると、私よりも肥沃で豊満な大地を持つ人たちが笑うごとに華を咲かせ、彼らの吐き出す空気で空間全てが澄み渡っているようにさえ見えた。その笑顔は私のそれよりもずっと人間に見えた。彼らの顔の方がずっと人間らしく写った。

 

 

 

 

幼い頃のある時から、私は人の容姿について違和感を覚え出した。A子ちゃんはB子ちゃんより美人だった。A子ちゃんの周りにはたくさん人が集まって、B子ちゃんに話しかけようとする人はA子ちゃんに比べて明らかに少なかった。

決してB子ちゃんが捻くれていた訳でも、嫌われていた訳でもない。むしろ私はB子ちゃんの方が親しみやすく話しやすい気がした。それでもA子ちゃんの周りにはいつも人が集まっていた。

 

けれど、何故そうなるのかの理由をある時私はほとんど直感的に理解した。A子ちゃんは綺麗だった。何がどう綺麗なのか、美しいなんて言葉の意味も知らなかった。それでも何か、A子ちゃんはB子ちゃんにはないものを持っていた。私はそれを直感的に理解した。そしていつしか美しいものには価値がある。そう思うようになった。

 

美しいというただそれだけのことで、人を幸せな気分にさせることができる。美しい人は生きているだけで誰かを幸せにできるのだ。みんなB子ちゃんといるよりも、A子ちゃんといる方が幸せな気持ちになれるのだ。だからB子ちゃんよりA子ちゃんの周りに人が集まる。だから人気者のK君は、B子ちゃんには素っ気ないけれどA子ちゃんには優しいんだ。

 

そう思って世界を覗いてみると、担任の先生も体育の先生も、他の保護者たちも、みんなA子ちゃんには優しいような気がした。まるで、A子ちゃんがA子ちゃんであるというただそれだけで、何か優れているような感じだった。考えてみても、B子ちゃんの方が話していて楽しいし賢くて成績も良かった。運動神経も良いし、真面目で優しかった。それに比べてA子ちゃんは、それほど目立って得意なこともなければ、話が特別面白い訳でも、賢い訳でも運動神経が抜群な訳でもない。それなのに明らかに周りの友達や男の子や大人の先生ですらB子ちゃんとA子ちゃんでは接する時の態度が違う。見た目が良いというただそれだけのことがこれほどの違いを生むんだ。そう思ったことをよく覚えている。

 

何故そんな直感が湧いてきたのか、はっきりとは説明できない。気づいた時には「美しい人」と「そうでない人」との間に差が生まれていた。

あの子は美人だけど、あの子に比べたらそうでもない。いやいや、あの子の方が美人だよ。

そうやって美しさの比較競争を繰り返して、いつしか美人であることはそれ自体が大きな特権であると思うようになった。

 

それと同時に、自分でどう意識したところで、「美人」と「美人でない人」ならどっちが良いかと聞かれて、「美人に越したことはない」と思うこと自体に抵抗もなくなっていった。

 

 

 

 

そこからまた時間が進んで、その価値観を持ったが故の罠に自ら掛かることになった。

美人の特権を認め、自分を相対評価する癖が付きすぎたせいで、自分の容姿の醜さが気になった。

 

周りからどれだけ容姿のことを良く言われようと、悪く言われなかろうと一度気になり出したことをやめるのは難しい。

 

私はその頃から鏡を見るのが怖くなった。外に出れば、みんなが自分の容姿を醜いと思っているような気がした。人の視線が異常に気になり、一時は人と視線を合わすことが出来なかった。

 

どうしてこんなことになってしまったのか。全て自分の自意識過剰のせいだと思った。「人は周りの人のことは案外見ていないもの」だと思いながら、美人をやたら煽てる先生や父親や友人を見て自家撞着に陥った。

 

学校を卒業して社会に進出すると、容姿の問題はあまり気にならなくなっていた。それでもあの時に覚えた矛盾に対しての答えは見つけられないままだった。

 

 

久しぶりの家族との食事中、テレビに出演する女優に父が「あの子よりあの子の方が美人だよね」とこぼす。同調する母。確かにと思う自分に、それが一体なんなんだと思う冷めた自分。

 

「あの子は美人だけど、色気がないよね。」

「あの子は美人だけど、サバサバした性格みたいよ。」

 

私は適当な相槌を打って箸を嘴のように食事をついばみ続ける。ああそうか。美人というだけでその枕に「美人だけど」が付くのか。美人は美人という特権と引き換えに、美人というレッテルを貼られるのか。何をやっても、何を言っても、「美人が」になる。「不細工が」と言われるよりはマシかもしれないが、その時の私には一体何が良くて何が悪いのかなんてことはよくわからなくなっていた。美人に特権があるなんてことも、実は自分が思うほど良いことではないように思えていた。

 

飽和した世界の憂鬱

「これは何?」

誰かが言った。それが何か、知る者は誰1人としていなかった。未だかつて誰も知り得ない真実の果実の味はどんなものだろう。彼はそれを見つめながら、ただ1人想像の翼を広げていた。そしてその翼は彼に空へ飛び立つ力を与え、果実の味は全ての世界の空の下に平等に与えられた。

 

 

 

数多の開拓者の亡霊が切り開いた世界が、今ここにある。私はその礎の上に立っている。そして今その歴史の延長線上に、私も立っている。

 

 

望めば大抵のものは手に入る時代だ。生きていくために生きていくことはそう難しくない。

 

 

犬は餌を食べることに疑問を抱かない。けれど、人は時に敢えて餌を拒む。時に何故食べなくてはならないのかと考える。

 

 

「生きるためだ。」

なら、何のために生きるのかと考える。

 

 

そして時に人は追い込まれ、混乱する。

「あの高台から飛び降りれば、空を飛べるだろうか。あの鳥のように自由になれるだろうか。」

 

 

落下。破裂。塊。物質。

 

 

自由とは死であると解釈する。生きることが単なる苦行であると、確信して疑わない。

 

 

食べるために生きるのではなく、生きるために食べる動物の本能と同時に備わった異形不明の性質。それが「心」なら、人間は常にその心と動物としての機能を闘わせ続けなくてはならない奇妙な生物だ。

 

 

単に生きるために生きる、本能のままでは耐えられない人間が、「何か」に疑問を持った。

 

その疑問が今までの世界を創り上げた。けれど、そこには「生きるために本当に必要な」ことはもう無い。

 

 

まるで人間がしていることが、暇人の道楽や神々の悪戯であるかのように。残された人間たちは、この飽和した世界で己の身体と心を持て余す。

 

 

「何のための身体と心だったのか。」

 

 

漠然とした不満足だけが取り残される。

 

 

「一体何のために何をしているの?」

 

「生まれたから生きている。」

 

 

ただ、生きているから生きている。それだけでは飽き足らない故の違和感。

 

 

犬と私、何が違うんだろう。生きるということにどうしてこれほど違いがある。違いがあると人間が思っているだけなら、人間とは一体??

 

 

 

 

 

何を言わずとも、何を言っても人間は突き進んでいく。真実の果実を手にした者たちが、その影響力を空に広げていく。その営みは決して衰えることがない。

 

 

行き着くところまで辿り着いてようやく、人類は何かに気づくだろうか。

 

 

飽和した世界の憂鬱が見せた、新たな人間の可能性の果実を育んでいくことができるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年は、全てが目に見える世界の上に立っている。

 

「これは何?」

 

何も見ることができないその目で、少年は興奮と安堵に満ちた顔でそれに指を指す。

 

「そこには何もないよ。」

通りがかった老人が気の毒そうに少年に声をかけた。

 

「ううん。そこ。これはなに?」

 

「ワシには何も見えんが。君には何が見えるのかね?」

老人はいたいけな子供を見守るように少年に合わせる。

 

 

 

 

何も見ることができない目で、その少年は顔を輝かせてこう言った。

 

 

 

「分かった。全部だ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が消える日常

何かに集中している時、その時自分はどうなっているのだろう。

 

私がテレビを見ている時、私は光る箱の中の世界に溶け込む。

 

そこに自分はいない。あるのは、触れることのない色と世界と人。

 

けれど、やはり気づけば私はそこにいる。

 

この「気づけば」というところ、よくよく考えると妙な心地がしてくる。

 

テレビに没入する自分、意見する自分、明日の予定をぼんやり考える自分、得体の知れない感情に戸惑う自分。

 

この中のどれかが私だろうか。

 

それとも、全てが私なのだろうか。

 

考えたところでわからない。けれど、この正体不明の妙な感覚はハマり込めば抜け出すのに苦労しそうだ。

 

「浸りすぎることは危険だ。」

まるで何もかも知っている者にしか言えない語調で、誰かが警告してくる。

 

「あなたは誰?」

 

「私です。」

 

「私って誰?」

 

「私は私です。ではあなたは?」

 

「私は私です。」

 

あなたと私を分かつものを、体感にしか見出すことができない。

 

 

 

これは不安なことだろうか。

恐ろしいことなのだろうか。

 

 

 

世界は文明を広げるために人間を歯車に変えた。甘んじて歯車になった人間、そうでない人間。何に抑圧されているのかその正体は「社会」という一言で明らかにはならない。

 

 

規則正しく、歯車になり機械的に人間という仕事をこなしていく日常に、手に入れた対価と共に失ったもう一つの日常の姿が明滅する。

 

 

私が消えていく日常の中で、それを見出そうとする言葉が生まれている。それは歯車の自分に対しての静かな抵抗なのだろうか。

 

機械的な自分に対しての、自我の反抗。自我に対しての遥かなる高みからの警告。宣託。

 

 

そうしてまた規則的な歯車に還っていく。望む望まないに関わらず、私はきっとまた歯車であることを余儀なくされる。

 

 

それが取り巻く世界のルールなら、受け入れなければ追放される。追放されたくなくば従うしかない。

 

 

習慣はいとも容易く日常を侵食する。侵食した日常は、既にもう日常そのものへと細胞を入れ替える。

 

 

だが、そんな日常にあってもなお聞こえてくる声。宣託。

 

 

「私はここにいる。」

 

 

懸命に伝える声。ある時は警告であり、願いであり、祈りであり、叫びであるそれは、機械になったつもりの自分に「人間の心」を思い出させようとする。

 

 

 

 

 

私が私であること。私が誰なのか、私が私とは何を言っていることになるのか。

 

 

得体が知れないその感覚は、ともすると切実な誰かの叫び声なのかもしれない。

 

 

その声に悪意はない。恐れを抱かせるような様子はない。

 

 

赤子が母に触れてもらうことを願うように、あまりに切実で真摯な、たった一つの私の声、あなたの声。あなただけの声。

 

 

その声がする方を見やると、不思議と温もりがある。微かだが遠くの方で灯が灯っている。

 

 

その灯があるから私は生きていける。

私は私の声のため、あなたはあなたの声のため、そのことを思うだけで生きていける。

 

 

 

 

決して消えることのない私に、全幅の安心を委ね眠りにつく。